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ペガサスキャンドルの軌跡 第六話
メロディキャンドルという商品をご存じだろうか?
これは披露宴などに使われるブライダル用のキャンドルでハートなどを形取ったたくさんのキャンドルで構成、一本に点火すると次々にキャンドルに点火され、最後は形取ったすべてのキャンドルに火が点るというもの。
ペガサスキャンドルの軌跡 第五話
1977年8月16日。井上は単身で東京の北千住にいた。
旅行カバンにブライダルキャンドル一式を詰め込んで、提案型のキャンドルサービス営業を続け、地方のシェアをほとんど開拓した。
攻め残るは本丸、東京のみ。その営業拠点と定めたのが、北千住だった。
ペガサスキャンドルの軌跡 第四話
1970年代。それまでTVや映画の中だけで見ていた欧米の生活様式がようやく一般家庭に定着してきた。生活が変われば文化も変わる。日常が変われば非日常もまた、変わるのだ。そのひとつが結婚式。羽織袴はタキシードになり、神社での契りは教会での誓いになり、親族への披露はホテルのパーティになった。それまでの結婚式にはないセレモニーも加わってくる。たとえばキャンドルサービス。
輸出で打撃を受けたペガサスキャンドルは、それまでまったく開拓していなかった国内にマーケットを求めていた。しかし、どこに活路を求めるか? あてはまったくなかった。
ペガサスキャンドルの軌跡 第三話
アメリカの通貨、ドルは世界の基準貨幣だった。1944年から71年までは。IMF、連合国通貨金融会議は44年7月1日の1ドル価格を純金0.88761gで表示し、それを「平価」と定めた。加盟国は自国貨幣市場を、この金平価の上下1%以内に維持する義務があった。
もちろん日本も加盟している。金平価の日本における貨幣相場は360円、つまり1ドル360円の時代。戦後から高度成長期を経て、日本もペガサスも経済のバラ色を迎えている最中、71年にアメリカの当時の大統領、ニクソンが突然、ドルの金兌換を永久に廃止すると宣言した。
ペガサスキャンドルの軌跡 第二話
「もう我慢できん!家を出るから!」
神戸で働いていた雅夫の元に双子の弟、現在の代表取締役隆夫から、そんな電話がかかってきた。雅夫24歳の時である。すでに隆夫は大学卒業後、父、定夫の元に戻って一緒に働いていた。雅夫にしてみれば弟が温厚な性格であることはよく知っている。その弟がこれほどまで怒るのはよっぽどのこと。雅夫はその時、倉敷に戻らなければならない、と感じた。
「しかし、私も神戸の会社に勤めていてすぐに退社するわけにはいきませんから、『とにかく半年、我慢してくれ。そうすれば帰るから』と弟を、なんとか説得して家に留まらせたんです」
「井上定夫大いに語る」より、マジックキャンドルの構想が実現になるまで
『ペガサス50年のあゆみ ~会社経歴書~』 1984年 より
何かよい物ができないかな、こういう物をつくったら売れるぞとか、知人と話しているうち「一度吹き消した炎がまた自動的に点火するキャンドルは」ということになった。そんなバカなことができるかと言ってね。しかし頭の中に残っていたわけです。「消してもまたすぐ火が付く」という思いつきが。
どういうことをしていいか分からず、薬品も分からん。マグネシウムの他薬品を何種類も集めて実験したが…。試作を何度かして、人にも聞いた。県庁の人にもね。
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