マジックキャンドル誕生秘話インタビュー

カテゴリ ペガサスキャンドル物語

ペガサスキャンドル「井上定夫大いに語る」より、マジックキャンドルの構想が実現になるまで
 『ペガサス50年のあゆみ ~会社経歴書~』 1984年 より


何かよい物ができないかな、こういう物をつくったら売れるぞとか、知人と話しているうち「一度吹き消した炎がまた自動的に点火するキャンドルは」ということになった。そんなバカなことができるかと言ってね。しかし頭の中に残っていたわけです。「消してもまたすぐ火が付く」という思いつきが。

どういうことをしていいか分からず、薬品も分からん。マグネシウムの他薬品を何種類も集めて実験したが…。試作を何度かして、人にも聞いた。県庁の人にもね。



とにかく思いついたら、すぐ行動に起して、なかなか落ち着いておられず朝、「大阪へちょっといってくる」「何で行ってくるのか」、「ちょっと行ってくるわ」言って行きましたね。そうでなければ発明はできないですよ、新しいものは。もたもたしているようではね。情報を仕入れ、即刻実行するというのが一番必要なことなのです。

マジックキャンドルを頭の中で、模索しながらつくったのですね。物ができてこれはもう完璧だというのができるまで、どの位の年月がかかったのですか。


とにかく何とかできるのに7年かかりました。それはもうオモチャみたいなことをしているわけですから。できない。どこで何をやったと聞いては、もうどこでも歩いて棒に当たる位歩いてね。そして最後の詰めが本当ええ調子にいかなくて…。

板野博士に会うために8時間


板野博士の弟さんが県庁にいて、私はよく知っていたのです。それで倉敷へ来たら私の家に来てお茶を飲んで2時間位話し込んでいったんです。その時、板野博士が大原農研におられて、この人は研究が専門で、アメリカにあこがれて高梁の中学を出てアメリカに渡り、確か向うの農業博士、哲学博士を取得され、終戦後10年余りして帰国された。

そして帰ったというのを弟さんから聞いて、マジックをつくるのに、もう一つどうしてもできんということで、何とか早く完成したいという気持ちから訪ねて行ったわけです。私は8時間位待ちましたが、会わせてもらえなかった。「弟さんと懇意にしているから会わせて頂けると思ったのに…。」それで弟さんの奥さんに名刺を出してあきらめて帰ろうと思っていると先生が会うということで…。私の第一印象がよかったのか、30分位話を聞いてもらったわけです。

研究というものは統一性が必要


私が行った時、留守だった弟さんから、明くる朝電話があって、先生が書斎で一生懸命本を読んでおられて、何をしているかと思って聞くと、私が来たからと言って調べてみたら何かわかったらしいという電話の声に、飛んで行ったのです。

先生に会った時のことで、いろいろ考えたのですが、研究というものは統一して研究すべきだと、研究の方法を教えて頂いたわけです。薬品のこともその時聞いて、持って帰っていろいろやりました。まあ私の思い通りのものは、なかなかできなかったけれど、試作品を持って先生に見せたのです。マジックの誕生には、いろいろあったわけですよ。

輸出だけされたのですね。


そうです。とにかく輸出を伸ばそうと必死でしたし、またマジックキャンドルの面白さは外国人には絶対に解ってもらえると信じていましたから。輸出用キャンドルをアメリカへ出していましたから、マジックの主力はアメリカ向でしたね。売上も他のキャンドルを抜いてぐんぐん伸び、輸出も好調になりました。


初期のマジックキャンドルのつくり方をちょっと…


私なりに考えた機械は、要するに薬品がキャンドルに、つかなければいけないから薬品タンクの中で回転させなければならなかった。鉄工所へ走ったりして、おかしげな機械をこしらえました。それに乾燥とか、芯出しとか製造面でもいろいろ苦労したのですよ。
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  2. マジックキャンドル  吹き消してもまた灯る不思議!


キャンドルの不思議なチカラ。