マジックキャンドル、誕生する! ~第一話~

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ペガサスキャンドルペガサスキャンドルの軌跡 第一話

一度、吹き消したはずなのに、また着火してしまうキャンドルを見たことがあるだろうか? 見たことがなくても、このキャンドルを誕生パーティなどで使えば楽しい笑い声で包まれることは想像できるだろう。

今でこそ、中国で大量生産されて数多く出回っているが、じつはこのキャンドル、ペガサスキャンドルを創業した前社長、井上定夫が発明したものだ。

その名を『マジックキャンドル』という。


「父がマジックキャンドルを作ろうとしていた当時、うちは荒物雑貨の問屋も営んでおりました。父は問屋の方の売り上げを研究費に注ぎ込んでしまうんですよ。それで番頭さんが見兼ねて『大将、もう止めてくれ』と言ったそうです。なにしろそれまでロウソクといえばお灯明用が当たり前、吹いて消えるのがロウソクですからね。そんな時に吹いて消してもまた着火するキャンドルを作ろうとしていたのですから。回りからはかなり白い目で見られていました」

井上雅夫は当時を振り返って笑いながら語る。

「なにしろ有言実行の父でした。そして言ったからにはできるまで止めない。その姿勢があったからこそ、7年かかってもマジックキャンドルは完成したんだと思います。もちろん、完成するまでは苦難の道だったと思いますよ。1年ぐらいの研究なら道楽で済みますが、なにしろ7年ですからね」

有言実行。定夫のその言葉は、今日のペガサスキャンドルの礎を築くものでもある。定夫がロウソクを作りはじめたのは昭和9(1934)年から。当初は灯明用だった。当時、山陽道にはロウソク製造業が何軒もあり、井上はむしろ後発だった。やがて太平洋戦争ぼっ発。当局は金物を軍備に利用するために没収を行っており、13軒あったロウソク製造業にも余波が及ぶ。1軒だけを残し、それ以外のロウソク製造業者からは金型などの金物を没収する、という決定だ。

ペガサスキャンドル「その1軒として残されたのがうちだったんですよ。理由は品質がよかったからです。たとえ後発でも『同じものを作るなら絶対に負けないものを、いいものだけを作る』というのが父のモットーでした。ですから同じお灯明用のロウソクでも創意工夫していいものを作っていたんですね」

もし、定夫に創意工夫、いいものだけを作るという姿勢がなかったら、今日のペガサスキャンドルはなかったかもしれない。その姿勢が定夫から息子へ、そして会社全体に伝わったからこそ、今日のペガサスキャンドルの隆盛があるのだろう。

定夫の創意工夫という姿勢が最初に表れたのが灯明用ロウソクだとしたら、もっとも顕著に表れたのがマジックキャンドルだ。開発のきっかけは知人と何かいいものが作れないか、売れるものはなんだろうと話していたことから始まる。その時に『一度吹き消した火がまた灯るというのは?』という話題になった。定夫は荒唐無稽な話を一度は打ち消したが、どうしても『消した火がまたすぐ灯る』という発想が、それこそマジックキャンドルのように頭の中から消えなかった。

「昭和32(1957)年頃から始めて、完成したのは昭和39(1964)年。とにかく試行錯誤の連続だったようです。芯に火種が残っていて、回りにマグネシウムがあれば再着火することまでは分かっていました。しかし、そのためには芯に薬品処理をしなければならないのです。この薬品処理が最大の問題点でした。薬品処理の方法が最後まで見つからなかったんですね」

薬品の組み合わせ、製造工程の工夫、さまざまな研究を重ねてマジックキャンドルは完成した。戦後、色つきキャンドルが入ってから定夫は色つきキャンドルを研究、10年がかりで輸出用を作ってきた実績と経験がある。マジックキャンドルは最初から輸出用として製品化された。『消した火がまたすぐ灯る』というユニークなアイデアは、当時、日本よりアメリカの方が受けるだろうと判断したからだ。

「その頃、私は中学生でしたが、家に帰るとおっきな黒い靴があるんですよ。アメリカ人のバイヤーの靴で、マジックキャンドルやその他のキャンドルを買い付けに来ていたんですね。外国人というのはまだまだ珍しい存在だったんですよ」

定夫の研究と先見は当たった。特許を取り、アメリカに輸出したマジックキャンドルは好調に売り上げを伸ばしていく。今日のペガサスキャンドルの母体を生み出したマジックキャンドルは、その後に起きるペガサスキャンドル最大の危機を救うことになる……。

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  2. マジックキャンドル  吹き消してもまた灯る不思議!


キャンドルの不思議なチカラ。