トップ(キャンドルワールド) >> キャンドル・ライブラリー > History of Candle > 迷宮のイカロスに希望を与えたキャンドル
Chapter 1
さて、松明からキャンドルに移り変わったのはいつの頃からでしょうか?
どのような形をキャンドルと呼ぶかという定義はありますが、ともかく、キャンドルらしいものを使った形跡が初めて表れるのはミノス文明、ミノアとかクレタ文明とも呼ばれている頃のこと。この文明は紀元前2000~1500年頃に最盛期を迎えており、当時、クレタ島はギリシャやキプロス、エジプトなどとの交流ポイントにありました。このクレタ島から燭台が発見されたのです。
ミノア文明は英国人アーサー・エバンズが1900年に発掘したことから明らかになった文明で、島のいたるところに遺跡があります。なかでも有名なのが、ミノス王が建てたといわれるクノッソス宮殿。紀元前1700年頃の大地震で崩壊しましたが、その後、修復を重ねて規模も大きくなり、縦横180m、3階建て(2階建ての説もあります)の堂々たる宮殿となりました。
もっとも、この程度の規模では世界中の宮殿に比べればさほど驚くものではありません。この宮殿を一躍、有名にしたのは中庭を囲む数百の部屋。まさに迷宮ですが、じつはこの語源こそ、クノッソス宮殿が発祥なのです。
宮殿にはいたるところに双斧の飾り(ラヴィウス)があり、ここからラビリンス(迷宮)という言葉が生まれました。迷い込んだら出られないような、太陽の光さえ届かない数百の部屋。そこにキャンドルが必要だったことは想像に難しくありません。
このクノッソス宮殿にはギリシャ神話があります。ミノス王は海神ポセイドンに捧げる牛を探していましたが、なかなか見つからず困り果てていました。その時、別の神がミノス王に白い立派な牛を与えました。喜んだミノス王はその牛を渡すのが惜しくなり、別の牛を奉納してしまいました。
そのことを知って怒ったポセイドンはミノス王の妻、パシファエと牛を恋に陥れ、子供を作らせます。その子供が牛頭人身の怪物、ミノタウロス。
ミノス王はミノタウロスを殺すには惜しく、しかし人前に出せないため、建築家であり発明家のダイダロスに命じて地下に迷宮を作ります。幽閉されたミノタウロスにはいけにえとして、9年に一度、ギリシャから未婚の男女7名が送り込まれていました。
この頃、ミノス王はギリシャと戦争をして勝利を収めていましたが、ある年のいけにえの中に、ミノタウロスを倒そうとしたアテネの王の息子、テセウスが紛れ込んでいました。
ミノス王の娘、アリアドスはテセウスに一目惚れ。かくして恋に落ちた2人はテセウスの手引きによって、ミノタウロスを倒し、迷宮から脱出して2人でクレタ島を後にしました。
怒ったのはミノス王。この事件の手引きをしたのは迷宮を作ったダイダロスに違いない、とダイダロスとその息子を迷宮に幽閉してしまいます。いくら迷宮を作ったダイダロスといえど、地図もなければ脱出は不可能。
そのとき、ダイダロスとその息子がすばらしい方法を思いついたのです。落ちている鳥の羽をロウで固めて、空から脱出すればいい、と。ダイダロスの息子の名はイカロス。ご存じ、「イカロスの翼」神話ですね。
この後の結末は省くとして、さて、幽閉された地下で、ロウをどのようにして手に入れたのでしょう? そのロウをどのように溶かし、羽を固めたのでしょう? もうおわかりのように、おそらく、地下の迷宮を照らすキャンドルの火とロウを利用したに違いありません。
キャンドルが始まった歴史と神話のなかに、こんなキャンドルのエピソードが潜んでいました。
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